《火と水》
火の粉と雨粒の様に、火も水も、点で表す存在になることが出来る。
一方で火も水も、勢いをつけて流れる存在になることも出来る。
男と女が一対の存在である様に、火と水も又、分かち難い対の存在である。
先週は日本各地に大雨の警報が「こんなに?」となる位どっさり出る一方で、落雷や火災に関するニュースも多く報じられた。
こうした出来事に関しては、詳しくお伝えすると長くなる上に不覚常識フィルターを通して読むと、かなり突飛な内容となるだろうから、あまり申し上げられることもない。
が、以前にもお伝えした、
現状の不覚社会は、
火と水の調和が取れずに
バラッバラ。
このことは、感じて頂けるのではないだろうか。
火も水も、それ自体は元から全体ひとつで調和して活動している。
それが火水の本能だからだ。
本能という言葉は、ずっと色情ファンの不覚人類によって「煩悩の着ぐるみ」に使われて来たが、神なる本能はシンプルかつ自然で天意に満ちている。
情のサービスじゃない為、不覚感覚に慣れているとシンプル過ぎて分からない位にさり気ないのが天意。
只、個の都合の外れた全体ひとつから観てみれば、その有り難さ、健気さは十分に伝わる。
火の動くは火の為にあらず。
水の動くは水の為にあらず。
全一の弥栄に尽くして動くのみ。
そんな火や水を、人の都合で縛ったり固めたり曲げたり埋めたりと様々に歪めて利用して来たシステムが、ガタピシ言っている。
ガタピシどころか、言ってしまえばもう決壊している。
結界が決壊
不覚的には縁起でもない符合だろうが、そうなのだから仕方ないのだ。
これは弥栄を願う新たな勢力が壊したとか、そんな人為的な決壊などではない。
だから、封じたり戦ったりと何らかの対策が出来る代物ではない。
何と言うか一番近いのが「消費期限が切れた」状態。
賞味期限はとっくの昔に過ぎている。
何であれ、作ったものには期限があるのだ。
当宮にお越しのグッドセンスな皆様に向け、本日記事にて申し上げられることは、
あれこれ変化する流れに「安全装置が外れている」ことを実感し不安になられたとしても、助け舟だとか、用心棒だとか、虫のいい状況の変化だとかを待たずに、
只・今・ここで
改めて中立を意志。
偏見や保身、変てこな気位が
残っていないか総チェック。
未だ意識の中で握っている歪みがあれば、
直ちに虚空へ愛で返却すること。
全体の流れに沿っていれば、ガタピシの揺れはぶつからずに通過して行く。
変化から逃げたり戦ったりせずに、意識を中心にIN。
台風も真ん中は、常に静かである。
「そんなこととっくに分かってらあ、今更だよ。宮司さん」
と、なった皆様には、更に大きな天意からの愛を発揮することをお願い申し上げる。
天災や人災と人々が呼ぶ出来事を取り巻く、「何が悪い」「誰が悪い」「許せない」と沸き返る様々な判断。
それらを通り越えた、その丸ごとに心底からの祈りを捧げて頂くこと。
中立な祈りは、
それそのもの、愛である。
ここが愛の放ち所。
(2019/7/22)