どうにも途中で切れず、中々に長くなりました。
誠にあいすみませんが、週末手の空かれた折にでも、飽きない程度に適当な所で区切るなどなさって頂き、皆様それぞれに良い塩梅でご覧下さい。
では記事へ。
《母力を育てる》
以前、《おかあさん生活》と言う記事でも書いたことがあるが、その時と変わらず、今の今でも物理次元は慢性的な“おかあさん”不足に陥っている。
終わらない火災とか、流行病とか、様々な不安で人心が揺らいでいる現状は、ちっちゃな子達のべそかき大合唱。
これまでになく、母力(ぼりょく/ははぢから)が求められる状況となっている。
話は少し飛ぶが、出産し肉の母となった経験のあられる方。
又、そうでなくてもご自身の母や祖母の子育て姿を覚えておられる方。
家族に病が発生した時、何でか看病しているお母さんだけ平気。
そんな場面があったことに気づいておられただろうか。
ウイルスが人を選んでいる訳でもあるまいに、何でかお母さんだけ通常運転に輪をかけて精力的に、家族の異常事態に対応している。
宮司は気がついていた。
以前、その疑問をお母さん的立場におられる方々に尋ねてみたことがある。
「気にしてなかったけど、そう言えばそうだ」
「必死過ぎて、それどころじゃなかった」
「本当だ、子供が治ったタイミングで私もってことはあったけど、私だけ具合が悪いってのはない」
等、聞かれて初めて相手も「あれ?」となるケースが多かった。
その位、お母さんはお母さんの丈夫さに無頓着。
面白い調査だった。
観察によって気づいたのは、個母史の中でも、個性を主張する時代となり意識内の比重が「母より個人」となって来てから母になった人達は、昭和のTHE・お母さん的な人達より、脆くなっていると言うこと。
日本で言うと社会が安定し医療環境が充実しつつ、人々の間でお母さん像に共通性があり明確だった昭和期が、当宮調べでは「お母さんMAX丈夫時代」である。
そして先日、あることを思い出し膝を打った。
「そうだ、逆なのだ!」
逆とは、つまり、
丈夫だからお母さんになるのではない。
お母さんになるから丈夫なのだ。
と、言うこと。
これだけ聞くと訳が分からないだろうから、ご説明申し上げる。
「お母さんである」と自覚し、自己都合を超えて母として動く時、個母の働きに全母の力が流れ込む。
つまり、肥大した個に捉われる前のシンプルお母さんは、全母のエネルギーを追い風にして進んでいたのである。
「女たる母が、丈夫とはこれ如何に」
となりそうだが、ここから母力は男女両方の持つ力を内包していると分かる。
人知を超える様なマルチタスクを可能にするのも、細腕から訳の分からない馬力が出て来るのも、免疫力がアップして割かし旦那達より長生きするのも、全母の追い風による勢いがあったから。
個母でこれ程ならば、全母性を意識して「おかあさん」活動をする者はどれだけの力を発揮するのか。
その実験を、只今している所である。
冒頭挙げた慢性的なおかあさん不足を強く感じ、おかあさん生活で時たま試みていた全母としての行動を、恒常的に行ったら内外にどの位の変化が起きるのかと閃いた。
先週記事に書いた、「更にも」の意志に応える形で飛来したアイディアである。
おかあさん気分で、おかあさんとは何かに意識を向けつつ「おかあさんなら、こうするね」と普段しないことにもチャレンジしてみている。
不慣れなのと、気合が十分過ぎるせいで、多少型破りなおかあさんが出来上がっているかも知れない。
先日も、
「しかし拙者もおかあさんの端くれ。やってやれないことは…、あれ。多分、おかあさん拙者って言わないな」
と、途中で気づいた。
お母さんは概ね女性がするが、‟おかあさん”には性別の制限はないので、何でお侍みたいになったのかは分からないが、別におかあさんが拙者でもいいのかも知れない。
あと、人型生命体は虚空の端末で、言ってみりゃ‟端くれ”であるので、それもそれでいいのかも知れない。
ちなみに上の「しかし」で始まる部分は、「キャラ弁とか作れるかな?」の自問に自答して出て来た。
全体ひとつの母力を育てている者が、今更キャラに臨んでどうなると言う気もするが、「キャラとは何か?」の問いを含んだ瞑想として行うことは出来る。
誰が誰を育ててもいい時代が来ているし、ひとつの端末が物理次元全体のおかあさんとして振る舞いながら暮らしていい時代でもある。
いいと言うか、その様に進化しないと、もう立ち行かない。
現役の個母であっても意識状態が「出産経験のある娘っ子」止まりでは“おかあさん”性は発揮されていない。
男性型の端末でも同じことで、「精子を提供しただけの坊や」意識なら個父性さえ怪しいものだし、“おかあさん”デビューなど夢のまた夢となる。
子供3人こさえたら相応な父力がオートチャージなんて仕組みには別になっていないことは、世間の関心が流行病に移るまで盛んに責め立てていた騒動でお分かり頂けたはずである。
本日記事の内容に納得が行く、訳分からないが内側に響くものがあるとお感じになられた皆様は、各自「おかあさん」に意識を向けつつ、「おかあさん的活動」の実践を始められること。
個が個へ注ぐ情ではなく、全から全へ放つ愛が母力なので、不覚者の「お助け~」にいちいち答える必要はない。
この話について、目で活字を追ってみることは出来ても、
「そうは言っても不安です」
「ついつい子供のままです」
と、なられる方々。
好きなだけそこで、泣いていなさい。
但し、誰も来ないよ。
(2020/2/6)