《愛ですること》


前回記事に出て来た「稀に行う必要物資の交換」は、流行りのNO三密スタイルを意識して、昼間の野っ原でしている。

正直、かなり面白い。

こんな風変わりな物資交換など、これまでしたことがなかったからだ。

 

 

レジャーシートを両者の間に広げて人間は入らずにおくと、距離の保持が簡単

それぞれ持参した物を手前に置いてから周りを人がぐるっと移動してもいいし、手にして方向を見定め、

カーリングやボーリングの要領でシートの上をシューッと流すことも出来る。

 

 

携帯でメッセージを送り合えば、喋らずに意志の疎通が可能。

新種のゲームみたいである。

先日の、知らない人にマスクを受け取って貰えなかった体験から学んだ宮司。

「ある程度知っている相手から、

 

衛生面で気にならない物品を、

ちょっとした気分転換用に、

渡すことなら出来るのでは」

 

 

と閃き、ハーブの香りが素敵な、顔や手をさっぱりさせる紙おしぼりをとりあえず大きな段ボールにいっぱい買った。

ビールスブロックやら99.99…やら書いてある。

ウイルスは抹殺対象でも邪魔者でもないが、「ちょっとどいててね」と除いておける機会があると気分転換になる。

それにこうしたグッズだとコロナについて心配し難い分、当節受け取って貰い易いポイントになるのじゃないだろうか。

何と言っても香りが重要

この世界は敵意と危険に満ちた場所ではなく、見えざるはあるのだと告げる報せを、植物が放つ芳香と言う愛に託してみることにした。

 

 

嗅ぐことは吸い込むこと、そして受け入れることに通じる。

ハーブにも紙にも包装にも、作った業者にも感謝である。

これも交換する必要物資の中に加えてじゃんじゃん分け、彼らが使うだけでなく人に会う機会が生じたら気軽に差し上げて貰える様に頼んである。

何処にどう届くかは分からない。

そして何処にどう届いても構わない。

当宮記事を花の種をつけた風船に例えたことがあるが、

 

 

それと大体、

おんなじ感じ。

世間からしたら仙人並に浮世離れしているかも知れない宮司の生活は、覚醒変容から数年かけて自然に変化したものである。

目の覚めていない状態で、生活の変化が要求される動きが、強制執行みたいにどかんどかん起きたら、そりゃ心身はビックリするし混乱もするだろう。

 

 

正念場とは言え、色々ときついだろうことは分かる。

癒しや慰めではなく、

中立さをサポートする天意からの愛として、

出来る限りのことをして行く。

俗世を離れた山上の人が仙人なのであれば、覚者は仙人と実際随分違っている

高みの見物ではなく、必要があればどこにでも行くし、何でもするからである。

することは愛で知り

何であれ、愛でする。

(2020/4/23)