《必要圧》
“本年の母神祭のテーマは『命』と決まった。”
なんてことを今年の初め、当宮記事にて書いた。
当時は、2020がこんな感じになるとは知る由もなかった。
母神祭に関しても上から伝わって来たメッセージに
「はい了解」
と、なっただけ。
『命』と言う響きが色々な意味でこれ程重く感じられる年にとなるとは、と、ちょっと早いが今年の色々を振り返り、改めて上がどこまで見通しているか、その果てしなさに唸った。
だが、「どこまで知ってるの?これからどうなるの?」と、問う気には全くならない。
不覚社会がどこまでゴネるかによって事の起こりは幾らでも変わるからだ。
起こることのタイミングも、大きさも、変わり放題。
はっきり言えるのは、エゴが抵抗すればする程、返しの波も大きく、勢いの激しいものとなること。
不覚の世の端を踏んづけて幕引きを延ばしながら、「これから一体どうなるんですか?」と問う程、矛盾した行いもないだろう。
出来ればなるたけ穏便に、などとは、発している方は大真面目でも実際はトンチンカンな要求となっている。
必要なことが起こるし、
必要なことが成る。
今年の祭についても同じ。
来週にでも詳しいご案内をお知らせするが、場所についても唸っていた。
時期を申し上げた時点で、場所も決まっていたのである。
今年は、ここ。
今回ご参加の方はほぼ居られないだろう位、対象を狭めている。
全体に放出する母性、全母性の発揮をするとお決め下さり、実際に何か行動されておられる方のみ、ご参加をお受けするからである。
加えて、昨今のウイルス騒ぎの影響もある。
大変、楽しみである。
「え、楽しみ?」
楽しみだ。何故なら、
範囲が狭まれば狭まる程
かかる圧が高ければ高い程
純度が増す。
そのことを示す様に、最適な日にちや最適な会場の情報が、次々に現れている。
「おー、いい圧かかってるなぁ~!」
と、腕まくり。
世の中の慢性的な“おかあさん不足”も、けして嘆かわしい状態とかではなく、全母性を発揮する前段階として必要があって起きている。
欲しがってばかりの不覚社会の中から、“母”として居ても立っても居られず愛の放出を始める人々が少しずつ出て来る。
今年に入って一層激しく命にかかって来ている様々な圧も、その放出を促す必要圧。
必要悪、と言う表現がある。
「良いことじゃないんだけど、でも世の中回して行くには必要だよね」
と容認されるものへの変てこな言い回し。
区分けせずとも悪は必要だ。
善にとっては。
善を善たらしめるのが悪だからである。
全には、善悪どちらも「特に必要」と言うことがない。
善悪含むあらゆる要素を溶かして一体とし、全体一つに新生するには熱と圧が要る。
必要圧に相応しい熱意で、冬の祭に全力投球することを決めている。
圧を恐れて、成せる変無し。
(2020/10/1)