《安が目覚めで買えるなら》
自らの意志で目覚めに向き合おうとする方々と直接お目にかかるサポートを始める前の2016に、《目覚めが金で買えるなら》と言う記事を書いたことがあった。
それから様々な発見や体験をして今の今では、目覚めを金で買おうとする人々が居る様に、目覚めることで欲しいものを得ようとする人々も居ることが分かっている。
代償を払って得ることは、対価を払って買うのと同じ。
彼らは目覚めを使って何を「買おう」とするのか。
それは、目に見える・見えないを問わず、心が安らかとなる感覚をもたらすものである。
目覚めることで「安」を得ようとしている。
安とは何か。
安心、安全、安泰、安寧。
高級品を好んで安い物を馬鹿にする人々も、安心や安全となると皆、諸手を挙げて喜ぶし欲しがる。
そうして安泰な人生を送ろうとする。
欲しい安を手に入れる為に、目を覚ましたい。
それを動機として目覚めを求める時、当たり前に覚は遠退くばかりとなる。
何故なら「手に入れる」とは、我と言う殻の中に「それを集める」こと。
安は、集めることが出来ない。
安心材料をどれだけ沢山集めても、絶対と言うことはなく、常に不安は影の様について回る。
このことからも、安そのものは集めることが出来ないのは明らかである。
安らかさは元々空間に満ちており、我を解いて全体に還ると自然に安らぐ。
安らいだ状態で眺める時、外に起こる事象を問題視することは出来なくなる。
起きたことから気づき、必要なことを実行し、瞬間瞬間や体験丸ごととして昇華をする。
このプロセス全てが歓びとなる。
目が覚めてから、不安に苛まれたり不安で興奮したりする機会はなくなったが、不安を嫌った訳ではないし、その嫌いな不安を消して、安を得た訳ではない。
なので、そうしたい人々の願いを叶える方法を知らない。
「私の人生を安泰なものにしたいので、
不安を全て取り除きたい。
それが覚なら出来るはずだ!」
とは、無理な話である。
目を覚ます時、不安は虚空に返還されるがそれと一緒に不覚の人類が大好きな、
ホーッ
とする、安堵も返還される。
ジェットコースターに乗った時などに、「キャッ!」と驚く瞬間はあるかも知れない。
目の前スレスレを、車が通ってぶつからなかった時には「おぉ~!」とはなるかも知れない。
だが、何が起ころうと奥の方で「ずっと平熱で観察している状態」が続いている。
なので、「キャッ!」もすぐに抜けて行って、更なるドキドキを呼び寄せたりしない。
「身を切る様な不安と、そこから無事脱出した安堵」セットの様なハラハラは本当に起こらない。
感情スペクタクルのファン達には、これは悲しいお知らせではないだろうか。
安を目覚めで買うことは出来ない。
出来ないことをしようとする時、不安は増大する。
そして安を更に強く求める。
この堂々巡りを終えるのに必要なのは、良い情報や頼りになる相手と言った「使える手段」ではない。
自他を超えた真の愛。
只、それのみなのだ。
目覚めは安を、売っていない。
(2019/9/9)