あれやこれや盛り込んで、今回も結構な長さとなりました。
誠にあいすみませんが、飽きたら読むのを一旦お休みするなどされて、皆様それぞれに丁度良いペースでご覧下さい。
週明けの記事は、あっさりと仕上げます。
では記事へ。
《受容と全力》
先週の記事にて書かせて頂いた、屁のような人生。
冒頭に断りを入れる程長くなってしまったが、実はあれも全部ではない。
まとめて一気に書くと余りにも長くなる為、一部を分けておいた。
本日記事ではそれについて申し上げることにする。
「本当に、途轍もない情報量の端末だったんだなぁ」
と、呆れつつ感心している。
彼の人生上で発揮された驚くべき生命力には理由がある。
絵の才能に関しては、確かに他より秀でている部分もあったろう。
けれど人は、才能のみで大成しない。
才を活かした画業を、長きにわたり支えた豊かな生命力。
とか言いつつ、90代まで現役だった。
その力に恵まれた理由は、「生来、他に比べて特別優れた存在だったから」などではない。
宮司はその理由を、
「とても素直であったから」
「死線を越える経験をしたから」
「その際に‟生きる”方へ、強烈なスイッチONが起きたから」
だと見ている。
死線を越える経験とは、先の記事で申し上げた出征である。
ここで、しげる青年は所属の部隊が壊滅する中、結果として一人だけ生き残ると言う体験をする。
常に死と隣り合わせの生活で自身も左腕を失うなど、「辛くも」と言う表現がこんなにぴったり来る感じはなさそうなギリギリ加減で、戦争の時代を脱する。
終戦から20年位、彼は他人に同情をしなかったと言う。
「戦争で死んだ人間が一番かわいそうだと思ってましたからね、ワハハ」
ワハハってアンタと突っ込みたくなる回答を遺しているが、こうやって笑いでしめる所が彼なりの奇妙な優しさであり、愛だとも感じる。
戦地で没した多くの兵と、彼との違いはどこにあったのか。
それが、先に申し上げた
「とても素直であったから」
「その際に‟生きる”方へ、強烈なスイッチONが起きたから」
である。
「生きたい」と願う思いは多くの兵が抱いたろうが、「生きたい」には「生きられなさそうだから」が、セットで付いている。
そうした希望と絶望の間で揺れ動く予測をぶっ飛ばした、シンプルな
「生きる」
このスイッチがONになったことがある者は、ストロングではなくタフの方で強い。
終戦時に物心ついておられた世代の方々には多い。成る程、年齢を重ねても丈夫なはずだ。
そうした世代の中でも、激戦地での活動はとりわけ強烈な実体験。
その場に蔓延する
「美しく散ろう」
「こんな状況どうせ生き残れっこない」
「相手を殺してでも生き残らなきゃ」
等の騒がしい空気に乗らなかったから、しげる青年はシンプルに「生きる」スイッチが押せたのだろう。
簡単そうで、不覚状態にあってはどえらいことである。
彼は誰のことも進んで殺そうとはしなかった上に、「こう生きたい」と言う細かな要求もしなかった。
現地人の暮らしに溶け込んで、畑を耕して生きることも選択肢に入っていた位である。
そんな兵隊話、他に聞いたことがない。
「生きる」スイッチを押すにあたり、細かな注文があると手の震えとなって、結果「半押し」位に留まることになる。
余計なことはしない。
「生きる。詳細については不問」
その受容が、スイッチを押す全力、そして人生で発揮する全力を生むのだ。
洗練の極みであるしげるオーダーから、選り好みや画策をしないことの大切さを学ばせて貰える。
何だって当宮記事でこのことを申し上げるかと言えば、この「生きる」スイッチの押し方はそのまま、「目覚める」スイッチの押し方と同じだからである。
「生きる」スイッチが押されると、見えざる領域から後押しの波がやって来る。
それが良く分かる不思議な体験も、しげる青年は現地で幾度となくしている。
しげる検定では初心者用クイズ程度だろう有名な話に、「戦時中、ラバウルで塗り壁に出会うの下り」がある。
ある日の夜、彼が一人でジャングルを逃げ回っている時。
友軍の陣地を目指して進んでいて突然、前に進めなくなった。
目の前に「壁の様な何か」が立っていて、触れるとその壁は柔らかく、そしてとてつもない大きさ。
びっくりした時には大概目が冴えるものだが、逃げ回り続けた疲労のせいか激しい睡魔に襲われ、そこに倒れて眠り込んでしまった。
翌日目を覚ますと、なんと断崖の絶壁に居たという。
そのまま進んでいれば崖から落ちて、命を落とす所だったとか、ひと晩眠ったのではなく少し休んでいると壁が自然に消えたとか、話の尾ひれはちょろちょろ分かれているが、当人にとり大変印象に残る経験であったことは間違いない。
この時、ジャングルに現れた壁の様な不思議な存在を、善良な妖怪「塗り壁」として代表作『ゲゲゲの鬼太郎』の中に登場させている。
「しかし当時ラバウルの建物に、塗った壁ってあったのだろうか。基本はヤシの葉な気がするなぁ」
と、気になって調べてみたところやはり塗り壁は、そもそも日本の九州北部を中心に伝わる妖怪だった。
狸やイタチが化けたものだと伝わる地域もあり、陰嚢をいっぱいに広げて夜道を往く人の視界を塞いでいるのだと言う。
「何の為に?」
広げる様子(イメージ)。
と、首をひねった。
理由も分からなければ、それによって得られるものも分からない。
恐怖と滑稽って、紙一重なのだと気がついた。
妖怪を面白く親しみやすい存在にしたのは水木しげるの功績ではなく、もっと前から「怖いんだけど、間抜けなところもある存在」として人々の間で浸透していたことが分かる。
そんな、不気味と滑稽の混じった日本の妖怪が、遥かラバウルまで出張して道塞ぎをしたのは面白い。
見えざる領域の存在は、必要があってその気になれば時間も場所も関係なく、自由自在に移動が出来るのだろう。
このエピソードで最も重要なのは、しげる青年が不思議な存在に止められて、「動かないことを受容した」点である。
アレンジし過ぎて蒟蒻みたいに。
全体一つの流れに逆らわない素直さが、自らを生かすことに繋がる。
戦後、彼の仕事が大きく花開き、様々な作品を長きに渡って世の中に発表出来たのも、彼が彼個人として生きるのではなく、もっと多くのいのちの代弁者として生きることを引き受けたからである。
多くのいのちとは、
妖怪や悪魔、精霊と言った、人ではない存在達。
生きて帰ることの出来なかった同胞を含む、人ではなくなった幽霊達。
そうした見えざるもの達からの声なき声を届ける役割を、愛と敬意そして慈しみで引き受けたことが、巡り巡って彼の仕事に物凄い後押しをもたらしたのだ。
南方の激戦地を辛くも脱出した時、彼の人生は既に彼一人のものではなくなっていたのである。
新世界では水木しげるの生きた時代より更に、全体に捧げて生きることが「普通」になる。
全体に捧げるからこそ、「普く」「通じる」、そして全うすることが出来るのだ。
それには個人の幸福を超えての引受け、受容が必要になる。
皆様は今、一体何をお引き受けになられているだろうか。
引き受けに、注文なし。
(2019/8/22)