《体験の妙》

 

人型生命体新体験により進化する。

 

そのことに注意を向けていてふと、以前に読んだ一冊の本のことが浮かんだ

 

強烈な体験の当事者がそれについて語ったものを集めた本で、タイトルを『劇的瞬間の気もち』と言う。

 

 

本の中では様々な人物が体験を語り、落雷に直撃されたり、竜巻に吸い上げられたり、サメやクマに襲われたり、月面を歩いたり、アカデミー賞やノーベル賞を受賞したり、宝くじに当たったり、記憶喪失になったり、ものすごく背が高く生まれたり、又は低く生まれたり、銃で頭を撃たれたり、スカイダイビングで失敗したりするのは本人にとって「どんな気持ちか」教えてくれる。

 

他にも色んな体験が書かれているが、何故だか今回この本のことと一緒にフワッと浮かんだのはその中の一つとして入っている、ある体験についてだった。それは、

 

「雪崩に巻き込まれる」

 

体験者はレスター・モーランという49歳の建設業者。再読し実に興味深かったので、本日記事にて書かせて頂くにあたり、全文を引用してみる。

 

「コロラド州ラ・プラタ山脈内の三千八百七十メートル地点。私は相棒と一緒に、金鉱の入り口に雪覆いをかけていた。

 

 相棒のジャック・リッターは私の良き指導者であり、すばらしい友人だった。今となっては、彼の魂が安らかならんことを願うしかない。午後四時頃だったろうか。私が運搬機のそばに立って、ジャックから長さ三メートル以上ある厚板を受け取ろうとしていたときだった。

 

 前触れはまったくなかった。雪崩は、あっという間に起きて私たちを呑み込んだ。気がつくと、私は体を丸めたまま斜面を転がり落ちていた。体の回転がやっと止まったときには、完全な生き埋め状態だ。

 

 

 後になって助けてくれた人たちの話によれば、私の体はこの時点で十五メートルの雪に埋まっていたことになる。

 

 生き埋め状態のことを話そうか。本当に暗かった。体にかかる雪の重みはものすごく、口の中も雪でいっぱいだった。息も出来ないくらいだ。どっちが上か下かもわからない。「神様、私はこんな状態で死ぬんでしょうか?」と心の中で訊ねたよ。ひょっとしたらもう死んでいるのかもしれないとも感じた。

 

 幸いだったのは、顔を両手で覆っていたことだ。指で口に詰まった雪を掻き出し、ジャックの名を叫んだ。こういう状態の中冷静でいられる人間なんていない。私もパニックに陥った。雪とひと塊になりながら、何が何だかわからないまま大声で叫び続け、涙と鼻水で顔がぐしゃぐしゃになった。どうやら、仰向けになった状態で頭を下にしているらしい。何とかして脱出しなければ、と思った。

 

 手を動かして周囲の雪を押しのけ、体が動かせるだけの空間を確保する。上半身を自由に動かせるようになったので、目の前にある雪の壁を掘り始めた。このとき、ちょっとした工夫を思いついた。四つ数えるたびに、片手ですくえるだけの雪を掻き取り、それを顔の前から胸、膝のほうへと持っていった後、両足で踏みつけるんだ。

 

 暗闇の中で二十四時間雪を掘り続け、ついに脱出することができた。腕を突き上げて穴を開けると、光が射し込んできた。そのときの気持ちは、とても言葉にできない。大声で神に感謝した。

 

 救出されたのは、それからさらに十四時間後だった。この体験のおかげで、私は人間としてひと回り大きくなれたと思う。下らないことがまったく気にならなくなった。指をひどくぶつけたりしたときでも、「これもまた楽しいか」と思える。

 

 

今の私は、人が見過ごしてしまうような、ごく小さなことでも感じられるようになっている。」

 

周囲が重くのしかかる、本当に暗い、何が何だか分からない。

 

雪中の生き埋めは、無明の状態によく似ている。

 

誰か何とかしてくれと泣き続けても、顔の周りの雪がちょっと解けるだけで、意識が自由になることはない

 

目を覚ましたい気持ちはあるが目覚めがどう言うものか良く分からない目に見えないし、本当にあるんだかどうだか

 

そんな風に無明の分割意識達は思ったりするが、目に見えなくとも「分かる」ものはある。

 

 

雪に全身埋まった状態で、最初は上下が分からなかったレスターがどうやって「どうやら、仰向けになった状態で頭を下にしているらしい。」と、気がつけたのか。

 

誰かスタッフが横穴掘ってにじり寄って来て、「ハイ、こっちが天ですよ」と示してくれた訳ではない。

 

日の光が彼の居る場所までパァッと射して、レスターを導いてくれた訳でもない。

 

  

レスターを導いたのは、下がった頭に血が集まる感じの様な、体感だろう。

 

真っ暗でも、一人きりでも、身体の自由が殆どきかなくても、分かるものはあるのだ。

 

そして少しずつ、自由拡げることも出来る。

 

凍って広がっていたものを掻き集めて両足の方に送り、踏みつけて圧縮する。

 

こうして頭上の空間を少しずつ大きくし、同時に足場を固める

 

 

とても地道で的確な帰り方だ。真っ暗闇の中これを二十四時間やり続けたらそれは、下らないことがまったく気にならない様に意識が変化もするだろう。

 

“指をひどくぶつけたりしたときでも、「これもまた楽しいか」と思える。”

 

不幸を測る物差しが、彼の中で溶けて消えている様にも見えるが、「この世に不幸があるとすればそれは体験が出来なくなることだ」、と基準が大きく変わったとも言える。

 

指ぶつけようがどうしようが何だって楽しい状態は、鈍感力を駆使して捏造することも出来る。

 

 

脳内お花畑状態と言ったらいいだろうか、変化したレスターはそれとは違い「人が見過ごしてしまうような、ごく小さなことでも感じられる」程、きめ細やかな意識状態になっている。

 

彼にとっては文中に出て来る、多分イエスの父さんだろうか「神」とか呼んでる存在がいざの時に「報告・連絡・相談」したくなる相手だったみたいである。

 

だが、そんな彼でも、脱出した瞬間

 

“そのときの気持ちは、とても言葉にできない。”

 

大声で神に感謝するのは、その後。

 

どんな言葉も届かない暗く深い場所か自由になるには、感じることと行動することが必要だった。

 

そして穴を開け、外に出た瞬間に訪れるのは、気持ちなどをとても言葉で表せない状態である。

 

このことを、「言葉で教えてくれた」体験者と、その言葉感謝する。

 

言葉を超えてこそ、紡げる言葉。

(2020/10/26)