《不許を誇る?》
「許せない」
「許してはいけない」
「極刑を望みます」
世間を騒がす事故や事件が起きると、こんな声が四方八方から押し寄せて、現場を取り囲む大合唱となることが不覚社会ではままある。
先日も、下校途中のちいさな人達が亡くなる、世に言う“痛ましい事故”が起こり、業務中に飲酒して行われた不法行為と言う、不法に不法を重ねるものだった為、許さぬの声が大きく上がっている。
かたちを失ったいのちや、それにより展開されなくなった様々な場について、宮司を名乗る“これ”も意識を向けはしたが、それらがこの世の何とも変わりなくかけがえなく輝けるものであるからこそ、直ぐに「?」が発生した。
「この仕組み、何?」
と言うのは、つつがない平和な日常生活や経済活動の実現を支える土台に含まれているのが、
注意散漫なこともある人々が注意すること
であったり、
繰り返しで気が緩みがちな中で気をつけること
であったり、
辛く困難な状態で我慢をすること
であったりするのは、一体何故なのかが分からなかったからである。
地盤の緩い場に街をデザインし造ることは自然とは言えない。
所々に汗や涙の苦汁が溜まるなら、社会の土台としてはやはり緩いのだ。
そこで「無理のないシステムとは」と意識を向けてみて、
「辛いし時には無理となる正しさを要求するより、呼気や身体反応から飲酒状態と判断されたら、エンジンがかからない車を作る方が確実なのでは?」
と、当たり前のことが浮かんだ。
そして、その様な車は存在するのか調べた。
大手の数社に、そうしたアイディアを掲げているものがあったが、「未来にはこんなのも」みたいな、ほんのりと夢や理想の気配を残したものだった。
売る側が常に優先させている経済効率を押しやる程に世論が高まれば、人気取りの目論見を含めて実売に移す会社も出て来るかも知れない。
そうこう調べている間に、「車に取り付けられる制御システム」を発見。
イメージした「飲んでるって知れたらもう乗れない」仕組みをちゃんと叶えており、見事なものだった。
こちらは10年程前から実売しており、普及も少しずつ進んでいると言う。
これを機に、販路が拡大するかも知れない。
まともなことを地味に地道にやり続けて来た場所が、
日の目を見る流れも変容の時代には着実に大きくなっている。
その分、まともそうなことを只声高に言いつのっているだけの場所の、隠している面も丸見えになる。
人が不許を言う時、そこには正義や善意の表明以外に、
「自分の身に降りかかったとしたらの恐怖」を掃う目的があり、
「許さない自分はどれだけ善良な者か」と言うアピールがあり、
「普段隠している暴力性を正義の鉄槌として振り下ろす快感」を得る目的もある。
次第に記憶が薄れ、別の騒ぎに取って代わられ、いつの間にやら気が済むまで、不許を誇り続けても
土台が「良識」「節制」「我慢」混じりのグズグズ地盤で、
歩く道もそのまんまでガードレールもなし。
だったら許さないことって、どんな意味が?
不覚社会も「痛っ!」となった所に絆創膏位貼る様な対応はするので、ガードレールあたりはどうにか設置出来るかも知れない。
だが、たとえ何一つ変わらなかったとしても、不許の嵐に夢中な者達は気に留めず次の現場へ向かうだろう。
真に大人になる本道を行かれる皆様は、これまで沢山の「許す」「許さない」を決めて来たことを踏まえて、この機に今一度向き合ってみて頂きたい。
許す・許さないに、一体どんな意味が?
そもそも、乞われてもいない許しを拒否する意味ってあるのだろうか。
告白されていないのに、付き合うか振るかを決めるみたいな話で、訳が分からない。
宮司を名乗る“これ”は、何も許しても許してなくもない。
だが今回の事故で、おおきな人の都合が優先される世の中に在ってちいさな人達が健やかに暮らすことについて、何が出来るだろうとはなった。
どこかに働きかけるとか、
訴えるとかではなく、
実際に何が出来るのか。
それもあり先程の会社を発見するに至った訳だが、そこに関連する実行としてパッと浮かぶのは制御システムを購入してみることか、上場のあかつきに株を買う位。
一台二台で売ってくれる商品ではないらしく、目下運送会社の経営もしていないので、未上場とは言え前者より後者の方が多少現実的だろうか。
ともあれ、このことを機に真っ当な働きをしている会社や人を発見出来たのは有難いことだと、感謝した。
「何が出来る?」の問いを発し続ける限り、その会社に関してでもそうでなくても必ず機は訪れる。
ちなみに事故のニュースを見てから、そこまで調べるのにかかったのは、ちゃんと計った訳ではないが大体20分から30分程度。
速いか遅いかは分からないが、区切りはつけられるし、道も開ける。許・不許と違って。
意識内の許さないボタンを連打する腕前を磨く暇があったら、「出来ることは?」を問い、実行の機を逃さない瞬発力や持久力を育てることに注力するのが、地に足つけて行く大人の道なのだ。
愛に許も不許もなし。
(2021/7/1)