《ハチマキ外し》
「何回、腹を括ればいいのか」
決意しても決意しても決意しても、変化は起きないし、いつの間にやら横道にそれたり、慣れ親しんだペースに戻っている。
そうしたことでお嘆きの方にお知らせ申し上げる。
あなたが括っているのは、腹ではない。
「目が覚めたらあんな感じになるはずだ」
「目が覚めさえすれば全て楽になるはずだ」
「目が覚めさえすれば何とかなる」
こんな風に思っている部分があるならば、そこにある目覚めのイメージは意識が脳を使って見ている夢と言える。
脳には脳で、その本来の役割があるのだが、意識が脳をゲーム機の様に使おうとすると、そうした横道にもちゃんと付き合ってくれる。
そして帰りのタイミングは示してくれない。
不親切だからではなく、それは脳の役目ではないからだ。
決意は、意識がその意を決するもの。
めんどいことは全部脳を含む御神体に丸投げして、包み護られている気分になっているのが不覚の分割意識。
いい年こいてベビーカーに乗り、指さして
「あっちに運んで欲チイデチュ」
とやっている所をご想像下されば、それが当然のことなのかどうか直ぐにお分かりになるだろう。
社会的に成功したいとか、欲しいものを手に入れたいと言った願望なら、頭を括る程度で可能だったりもする。
だから不覚社会は「何かを目指すと言えばハチマキスタイル」と、誤解しているのだ。
そして社会を見渡せば恰好良さげなハチマキ、「夢を与えたい」「元気にしたい」「助けたい」「自分の限界に挑戦したい」等でデコられたハチマキをしている人々が居る。
彼らのものに似た簡易的なハチマキ「○○さんみたいになりたい」をしている人々は更に数多く居る。
「〇㎏痩せるぞ!」「司法試験合格!」なんて色んな決意が世に溢れているので、進化変容に向けて発奮した時につい、
「私のハチマキも、見て欲しいなぁ~」
と、ハチマキフェスティバルに参加したいと言う色気が出る。
決意して楽じゃないことに臨むのだから、ちょっとは誇りたいし、褒めても欲しいのだ。
意識がアタマをウロチョロしている段階では、そんな助平根性も出て来る。
そして「目を覚ますのに腹を括る」と書いたハチマキを、頭に巻いてしまう珍現象が起きる。
滑稽さを楽しむ宴会芸の腹踊りは顔を腹に持って来るが、顔を含む頭に腹を持って来るのも、同じ位おかしな話である。
腹の括りは、望みを叶えるべく鼻息を荒くするのとは違い、ある種諦めに近い。
エゴ持ちのままではもう何をやっても立ち行かなくなって行くのだなと認めてエゴを諦める。
その諦めをつけて明らかにするのに必要だから、昨今のガタピシについて書いているのだ。
不安を煽っている訳ではないし、しばらくして「も~しゃーないなー」と救済策を示すつもりもない。
諦めがつく者は諦めることが出来るだろうから、その踏ん切りをつけるヒントとして書いている。
諦めは静かに起こり、苦痛で飾られることがない。
ハチマキを硬くして孫悟空の輪っかの様にギリギリと頭を締めあげれば、見かねた虚空から助けが来るとか思っておられる方。
それは、転んで泣き叫べば親が走って駆け付けると思っている、幼子の発想ではないだろうか。
虚空には見かねるものなどありはしない。
腹の決意は誇れない。
(2020/6/29)
6月のふろく 《ハチマキ外しメモ》
これまでに巻いて来られた数々のハチマキの中で、印象深いもの、又「NOW巻いている」とお感じのものについてメモの上半分に「それは一体どんなハチマキか」お書き下さい。
緑のリボン一つにつき1ハチマキとなり、1枚に5ハチマキまで記入出来ます。
下半分のうち、波模様の部分には「そのハチマキがあったから体験出来たこと・学べたこと」を自由にお書き下さい。
ここはハチマキをばらして海へ送り、生みの親たる虚空に還す所なので、どのハチマキについてでも構わず、ランダムになっても直感で記して頂いて結構です。
一番底になる、波が消えた青い海には「ハチマキへの感謝」をお書き下さい。