《やさしい世界?》
「世界でいちばん、
やさしい世界」
「何だって?」
世界の中で一番な世界。
一瞬目を疑うキャッチコピーを掲げるこの存在は、ロシアの児童文学作家ウスペンスキーの作品から生まれた、人気キャラクター。
チェブラーシカの名前について公式ページでは
“「すってんころりんと!転んじゃう子」という意味だよ。”
と、説明されている。
「僕は」と言っているので男の子なのだろう。クマでもない、サルでもない、イヌでもない、正体不明の不思議な生き物である。
南国の生まれで、地元で箱に積まれた出荷前のオレンジを見つけて勝手に食べた結果満腹で眠くなり、食べたオレンジの代わりに箱に納まって寝たままロシアに届けられた。
この名前もロシアに来て以降の彼の様子からついたので、初めは正体も名前も不明のまさに謎の生物。
そんな未知の生物を、ロシアで出会った友達は怪しんだり馬鹿にしたりせず、そのまま受け入れる。
友達は動物園勤めのワニや、しっかり者の女の子、ライオン、子犬、キリン、サル、腕白な問題児の男の子、大人しい優等生の女の子など。
人間も動物も男も女も一緒くた。
色んな友達と一緒に、新天地での生活を満喫するチェブラーシカ。
ヤンチャな悪戯ばあさんなんかも出て来るが、大体は「かわいい・やさしい・あったかい」みたいな感じの雰囲気とノリでまとめられている。
先日このチェブラーシカと言うか、作者のウスペンスキーについて、興味深いニュースが世に出た。
ロシアでこの作家の功績を称えて、国内の有名な児童文学賞を「ウスペンスキー児童文学賞」とする計画が持ち上がった。
それを知った作家の娘が、自分の父親の名前を児童文学賞に冠することは遺憾であると訴えたのだ。
理由はこの作家が、夫や父親である時には暴君だったから。
ウスペンスキーには生前ずっと家族に対し暴力をふるっていた非常に残酷な面があり、その様な人物の名は、“児童文学のような人道的な分野の賞に付されるべきではないと考える”為だと言う。
最初の家庭でも、再婚後の家庭でも、子にも、孫にも暴君と言うことで、徹底している。
作家の生活を取材するテレビ・クルーの入る時だけは、好人物だったらしい。
その時には子や孫に幸福な生活をしている演技をさせ、取材班が帰ったら暴君に戻ると言った奇妙な振る舞いがあったと聞き、初めてこの作家に興味が湧いた。
彼の意識は一体どんな状態になっていたのだろうか、覗けるものなら覗いてみたい位である。
もうこの世にいらっしゃらないそうだが。
意識状態については分からないが、彼は自らの死後に家族からこんな風にやり返されるとは思っても見なかったのではないだろうか。
精神的にも肉体的にも支配を受けて来た側が、支配して来た側に反撃する。
こうしたことが、只今のガタピシを増す不覚社会ではこの件以外にもあちこちで起きている。
これは
「力の大小が決まっていた状態が、引っくり返る」
「この色と決まっていた状態が剥がれて別の色が露わになったりする」
と言う、これまでになかった動きが新世界にとって必要だからである。
そりゃ、やさしい世界に罅が入ることも起こる。
この、「やさしい世界」と言うフレーズは、チェブラーシカの世界以外にも使われる。
作品ではなく例えば日常の平和な一瞬とか、人や動物の優しさや情深さが感じられる瞬間に言われることがある。
そうした場合は、もっとやわらかく「やさしいせかい」と書かれることが多い。
不覚社会に生きる人々が、ちょっとした時に何でこの表現を飽きもせず繰り返すのか。彼らの言っている「やさしい」って何なのか。
不思議だったのだが、観察していて以下の様に置き換えることが出来た。
やさしい世界
↓
きびしくない世界
↓
嫌な感じのことがない世界
つまりは、
「今見たこの世界はわざわざ讃えたくなる、やさしい世界。
(裏を返せば、世の中の色んな世界は大概やさしくない!)」
「やさしい世界」のフレーズが世に出始めた頃は、括弧で隠された二行目を匂わせる、その他の世界に向かっての皮肉、動物が汚物に後ろ足で砂をかけるみたいな動きが感じられた。
特定の表現が流行により市民権を得ると、明確な意図なしに「ま、そんな感じかな」位の軽さでも、それは使われるようになる。
近頃は単に気に入った場面や展開を讃える感じで「やさしいせかい」を言うことが、楽しまれている。
世界が「好きな様に分割して編集して評価して発表していいもの」に見えていると言うのは、不覚ならではの鈍さである。
世界は優しいとか優しくないとかで計れはしないし、
特定の好みに沿う様に図って作ることも出来ない。
人は未だ世界に甘えて、遊んでいるのだ。
世界が名指しで怒ったりしないと知っているから。
世界は怒ったりしないが、
甘やかしたりもしない。
だから人は世界を恐がってもいる。
甘えも恐れも結局は、世界と己を分かつことから起きている。
優れたる優しさも、形無しの時代。
(2020/6/25)