《0の脳》
「肌とは?」と言う興味から皮膚について調べることがすっかり面白くなり、あれこれと見ている。
そんなある時、皮膚を「0番目の脳」と表現する説明が目に留まった。
生命進化において、皮膚は脳が生まれる前から存在していたからであると言う。
進化の大枠で見る以外にも、一つの生命が受精からその形を着々と構成するにあたり、内外を分ける皮膚は脳よりずっと先に出来る。
細胞膜も、細胞の皮膚と言える。
腸も脳より先に出来ることから、腸を脳の親と表現する解説も以前目にしたことがある。
脳はプロデューサーや花形的なポジションを以て迎えられているが、実際はかなり後発のメンバーである。
その脳が、と言うより脳を使って意識が巡らせる、思考。
であれば思考も、人型生命体のすることとしてはかなり後発の動きになるのではないだろうか。
いつ獣に襲われて食べられるか分からないから気をつけよう。
原始人類がこう警戒する前には、おそらく沢山の「食べられた」「食べられるのを見た」体験があるだろう。
何の根拠もなしに特定のモノコトを恐れたりは出来ないし、実感するにはそれなりに近場で味わうことが必要になる。
その他の「○○だから気をつけよう」も同じで、例えば
もの凄く寒い所だと居るだけで死んでしまうから気をつけよう。
とか、
これを食べるとお腹が痛くなったり痺れたり時には死んでしまうこともあるので気をつけよう。
とか、これらもやはり「そうなった」状態を経たり見たりして記憶し、判断材料として来たはずである。
「嫌な予感!」も何かを嫌だとする基準が前もって設けられていなければ「何かが起きそう、だけど?」になる。
そして何かが起きそうな感じだけで分割意識は騒がない。
この物理次元では常に何かが起き続けているからである。
いちいちそれに構っていたら切りがないし、構い切ることだって出来はしないのだ。
何だってこんなことを申し上げているのかと言えば、細胞膜と言う皮膚が0番目の脳であるならば、その“脳”は、
一体何をしているのか
これに興味が湧いたからである。
一体何を思考しているのかと書かなかったのは、それが思考であるとは限らない為。
何故なら、頭にある脳があれこれ集める様な、判断材料が見当たらない。
母の胎内には獣も居なければ氷河期もないし、毒のある生き物も居ない。
生命維持の為に己で考える仕事が特にない。
何らかの情報処理をして居るのなら、一体何の基準に沿って処理を行うと言うのだろうか。
0番目の脳の持つ知性に興味が湧くと同時に、これは未だ明らかにされていない脳の役割を知る上でのヒントにもなると感じた。
人類は自らの体について、健康を最上としつつ美容も求め、発見した病を治したり、自然環境や社会構造、生活習慣の変化などによって新たな病を生んだり、それをまた治したり、本当に努力して様々なことを行って来た。
只、これから必要になるのは「○○は嫌・駄目だから気をつけよう」「良い状態を維持しよう」等の注意や目標ではなく、人って何なのか、体って何なのか知りたいと言うシンプルな意志や意欲の方である。
世界の方が一足先に人類よりシンプルになったので、問いに相応しい答がそのまま返る様になっているからだ。
嫌なものありきで問えば、当たり前にそれとの引っ張り合いっこが続く答が返って来る。
勿論それを続けるのも、又、自由となる。
本当に、知りたいのは?
(2023/6/19)