《頭でっかち》

 

文字としての「思」に意識を向けた時に、「青々とした田の広がりに、普く満ちる水」のビジョンが来た。

 

だが、思の字の上半分は「田んぼの田ではない」と言う。

 

元の形は「囟」

 

小児の頭の真ん中を描いた、象形文字とされる。

 

「シン」と読み、「頭(の真ん中)」「細い」を意味するこの字は、「頭の合わす、脳の蓋なり」とも説明されている。

 

囟の字にある、四角の中のペケ部分は、頭骨のパーツ同士が合わさる時に出来る隙間を示す。

 

ご存知の方も居られるだろうが、この部分は泉門せんもんと呼ばれて、ちょっと開いていてペコペコ動くらしい。

 

分娩の際に、頭に加わる圧力を吸収するのと、動いて細くなることで産道を通り易くする為に、頭骨に隙間が開いている便利システム。

 

産後も頭の自然な成長に合わせて隙間は保たれ、一年から一年半かけて徐々に閉じられて硬い頭蓋骨が出来上がる

 

見事なものだと感心しながら、その隙間が泉の門と呼ばれていることにも唸った。

 

中心から虚空のエネルギー湧き出す歓びを表現した歌であるマイムマイムさながらに、頭骨の隙間からも湧き出す

 

くっついていない部分がペコペコ動く様子が踊っている様に見えるからと、囟の字には「おどりこ」の読み方もある。

 

どう言うことについて書く時に、そうした読み方を使用するのか見当もつかない。

 

しかし、「まるでアメノウズメじゃないか」と、これにも驚いた。

 

日を招くのも水を招くのも舞い踊り、つまりは振る舞い実行が必要なのだ。

 

実行なき思いは、我田引水幻想に溺れるだけで、泉の門を開かないし、田を潤すこともない。

 

頭の骨が硬くなって閉じられた後、守られた状態で思いを巡らす内に、次第に「頭は固く」なる。

 

記憶から価値観が作られ、個人的な拘りが強くなること。

 

頭の中では誰も「はい、終了―!」と笛を吹いて思いを終わらせたりしてはくれないこと。

 

思うことで対策をして生き抜いて来たと言う人類の共通認識があるので、そうしているだけで一応何かやっている気になれること。

 

 

幾つかの理由がひっ絡まって、頭はどんどん固くなる。

 

思えば思う程、渇きに苦しむ様になり、思えば思う程、他所から水を引っ張りたくなる

 

ひょんなことからここ一年程、乳児の生態を画面越しに日々眺める機会に恵まれているのだが、思い行動が実にマッチしている存在であると気づかせて頂いた

 

って即、棚の中の物を全部出して床に撒く

 

って即、振り回したり口に入れたりする。

 

って即、一緒に暮らす動物を追い回す

って即、目につくボタンを押しまくる

 

って即、捥ぎ取れるものは捥ぎ、毟れるものは毟る

 

ただ座って静かにしているのが落ち着く、と言う乳幼児も中には居るだろう。

 

それも又、「静かに座る」と言う行動をしている訳で、思いだけをグルグル巡らしているのとは違う。

 

静かでも賑やかでも、彼らの思い行動は手に手を取って踊れている

 

 

思いがフロアの視線を独り占めで、行動が壁の花なんて珍妙なことにはなっていないのだ。

 

何かの役に立とうと言う意識は特にない乳幼児達。

 

だが、思い行動の両輪が揃って素直に回っている時点で、全体一つの流れに沿って「全力で生きている」「日々成長している」と言う彼らの役目はちゃんと果たされている

 

ワイルドさと共に、不思議と洗練されている感じもする。

 

社会の中で作られた文化的洗練ではなく、人類も含む数多の生命活動の中で磨かれた無駄のない、生き物として洗練された美しさがそこに在る。

 

 

個対個の戦いをするならばこれ程無力な状態もないだろうに、屈託なく存在を輝かせている

 

成長し頭蓋骨が硬くなった後、そこからどれだけ時が過ぎようとも、意識の思いを柔軟にする切っ掛け行動であることは変わらない。

 

乳幼児達の素直さで内なる泉を開き全母の天意に変えて普く水を満たす

 

真の思いには、素直さが同時に活きている

 

それは「普く」と意志した通りに流れて、世界を潤して行く。

 

と言う青々潤う

 

囟が何故、「似てるけど違うよ」としながら思と言う字の中で、田と表記上で区別をつけられない形をしているのか。

 

思いアタマを満たすものではなく、無限に栄えると言う満たす愛を注ぐものだと、知ること必要だからである。

 

アタマに収めておくだけのものならペケのまま、囟としておけば分かり易いし、それも出来たはずだ。

 

 

囟から田への道中で、「自」の字に付いている様な、髷に似たポチも取れてしまっている

 

個の拘りを解いて初めて、思の本質は活きて来るのだ。

 

全体性を失った頭でっかちでは、変容の時代には何を求めてもいずれ尻すぼみとなるばかり。

 

大き過ぎる頭は、新生の産道通れない

 

凍った水では、流れない。

(2022/5/19)