《進と震》
当宮記事も含める様々なことで、放っといても二日にいっぺんやって来る何らかの締切。
それらをえっさほいさとクリアしていたある時。
別にやって来るのを待たなくても構わないことに気がついた。
「逆にこっちが締切を追っかけ回してみるのはどうだろう?」
と浮かび、アイディアとして面白かったのでちょっとそんなこともしてみている。
折しも師走で年末年始限定の色んな用事も発生し、中々賑やかなことになっている。
世間が競争する横で愉快に玉乗り。
こんなノリで快調に追っかけ回す感じで資料を確認していた所、不意に起きた気づきに急停止した。
「このよで いちばん すきなのは
おりょうりすること たべること
ぐり ぐら ぐり ぐら ……、ん?」
「ん?」となったのは、この世で一番好きなことがちゃっかり二つある点ではない。
この存在達が何であるのかについての気づきとは別に、彼らの名前が持つ音と、世に起きている現象に、通じる点があることを意識が発見。
「ぐり ぐら ぐり ぐら … あ! ぐりっと抉るから、ぐらっと揺れるのか」
と、膝を打った。
と言うのも、疫病に関する不安が人々の間で
「消えはしないものの何だかグダグダ」
となり、緊張が薄れつつあるタイミングで、
「お忘れなく!」
とばかりに各地で揺れが発生。
ついでに寒波もトッピング。
母であり子、子であり母と言う感覚がない、母なる地球の子ども気分のみで暮らしている端末達は、親サイドが
「一人前になるまで安心なんかさせないぞ」
と厳しい姿勢で来たみたいな、そんな雰囲気に感じているのじゃないだろうか。
改めて申し上げるまでもなく、誰も叱っていないし誰も罰していない。
誰も責めていないし、誰も加減していない。
只、無限の虚空から全体一つの世界が、祝福と共に、古い殻を脱ぎ、新しい存在として生まれ出ようとしているだけである。
古い殻を割らない様にしながら、新しいものを出すことは出来ない。
物理次元に在る分割意識が、内なる旅を奥へ奥へと進めて、同時に深めて行く時に、固定観念が有ればそれらにぶつかって揺れもする。
地中をボーリングによって掘削する時に、固い地盤が震動するのと同じ。
つまり表部分がぐらぐらと来るのは、固い部分もお構いなしにぐりぐりと深く掘り進んでいると言うこと。
これまでの常識が通用しなくなり、固定観念が大きく揺らぎ、作り上げたものが根底から覆される。
内に激震が走るなら、外にもそれは表れる。
外の守りを固めても、内側の柔軟性がなければ、遅かれ早かれ心は引き裂かれたりぽっきりと折れたりすることになる。
そうする為に生まれて来たんだと言うならそれはそれで構わないし、別に止めもしない。
だが、この機会を活かし更に自由になることをお決めになられている皆様には、申し上げられることがある。
モノコトの起こりを邪魔せずに、柔軟に対応し、今この瞬間に集中して、味わうこと。
柔らかな所をさくさくと進むなら、
何の強い揺れが起こり得るだろうか。
固めない程、すんなり通る。
(2021/12/23)