《浪漫の城》
先日めでたく本年の母神祭を行い、今回もその大きく深い意味と驚く様な巡り合わせに感謝した。
全体一つの運びによって成せたことと、皆様にもこの場を借りて御礼申し上げる。
その全容について記事で書かせて頂くことはない。
来年に、お一人ずつお目にかかる場でご報告をするからである。
報告会に必要な体験が集まる一方で、記事でお知らせするのに必要な体験と学びも沢山あった。
本日はそれについて。
これまで祭の日は晴れることが多かったが、今回は途中から、細かく静かな雨の降る空模様となった。
他に人の姿はなく、聴こえるのは雨と、傍の道を凄い速さで飛ばして行く車の音位。
そこでメインの神事を終えて場所を移動した。
途端に戦・戦・戦と、合戦についてのあれやこれやを描いたり書いたりした目印が増えること増えること。
現代の人々が「ロマン!」「大好き!」とやっている“イクサ”だらけ。
目印が示す目的地は、浪漫大好城みたいになっている合戦を記念した施設。
そこに向かう途中で、母神祭にとって重要な場所を発見してそちらに興味が湧いた。
「もぅ、いいかなぁ。記念はショートカットで」
山頂を目指すなとか言いますし…と、目の前まで来て浪漫大好城訪問を省きかけたが、
“全部!”
と、上から来たので「へーい」と返して、省かずに観察することにした。
行ってみるとやはり、合戦合戦わっしょいわっしょいな盛り上がりのオンパレード。
「殺し…合いですよね?で、合ってますよね?」
と、こちらは展示の解説を確認しつつ見進めたが、観覧者もスタッフも誰一人そんなことは気にしちゃいない様子だった。
それが良いとか悪いとかは、勿論全くない。
起きたことは殺し合いだろうと全力な体験の一つと出来るなら何故、現代不覚社会で起きている殺し合いにも、同じことが出来ないのだろうか。
ここが全く不思議なだけである。
信念とか、道義とか、浪漫が違うんですよ、と言われたって、現代の戦場にいる人々にインタビューすれば、その人の信念や道義は幾らでも聞けるんじゃなかろうか。
そしてそこに浪漫を感じる人だって、居るんじゃないだろうか。
ちょっと気がついたのは、やはり合戦は現代の人々からは基本、兵士と言うプロ同士の戦闘と見られている、と言うこと。
だから、野球やサッカーの試合を観戦する感覚で、合戦の展開やそこに付随する人間ドラマを楽しめるのかもしれない。
只、合戦で消えた人命が戻ることはないのでいい試合でした又来年ねとはならないし、亡骸の後片付けはお金を積んで開催地に丸投げだったらしい。
包み隠さず観察すると、やっぱりスポーツ感覚では片付けきれない部分がぼろぼろ出て来る。
選手の骨を民間人が拾うとか、聞いたことない。
丸ごと観えていると、好ましいとこだけ掻い摘めるその部分採取が不思議で仕方ない。
謎だらけだ、と首を傾げつつ展望デッキに行ったら、ライトアップが行われていた。
どこまでもゴキゲンな感じ。
これはこれで面白いことだと有名な武将の、キャラクターと言うのだろうかイメージ像に沿ってデザインされた灯りを楽しく眺めた。
その中に居た或る武将の持つイメージが大変興味深く、そう言えばとチケットを取り出したらまさしくその人がプリントされていた。
何とも不思議な人気と言えるので、それについて次回記事で書かせて頂く。
通常あんまり好まれない。
(2022/12/22)