《天を分ける?》
天下を分けるって言うけど、天下の分け目って、何処だろうか。
そんな問いを浮かべて空を見上げても、丁度いいポイントって特に見当たらないし、雲を搔き分けて七三にしてある天とかも見たことがない。
天にあるものは地にも。
そうであるなら逆も又しかり、ではなく結局天上に分け目はなかった。
天の下となると急に境が作られ、色んな分け目が数えきれない位に登場する。
性別の間や、世代の間、社会的地位や趣味嗜好でも分け目を作れば、もう何が何だか分からない程の分断状態となる。
只、「天下分け目の」と言う時は何かを大きく二分した時に使われる。
五分五分と言うことで、真ん中分けやセンター分けと呼ばれるスタイルを取っている感じになる。
先日の記事で少し触れた天下分け目の合戦も、西と東に分かれて開催したそうだ。
真ん中と言っても、両者が激突する場所は中立なのかと言うとそんなこともない。
そこから、激突で和合は成されないと学ぶことが出来る。
出来るのは統一くらいだろうか。
東と西だけだと、当たり前だが南北は蚊帳の外。
平面にしたって、せめて四方から寄せて真ん中にしないと、中立な感覚には程遠くなるのだろうか。
そんなことをイメージした時に、南北朝の内乱が浮かんだ。
東西での戦い南北での戦いと、時期や場所を分けてそれぞれ体験をすると言う運びだったのか。
面白いことだと、感心した。
ちょっとずつ、みんなで不覚体験のピースを埋めて来たのが人類の歴史。
体験は既に出揃い、現状は焼き直したものがひたすら積み上がることが続いている。
積み上がったものがバランスを失い、崩れるとどんなことになるのか見当もつかないが、どっさりの断片に覆われて、圧迫感や閉塞感が増し視界不良となっても不思議ない。
頃合いになったら、全員パァ~ッと視界が開けて覚める訳ではないと言うのは、ご承知の通りである。
天上が上にある全てなら、天下は下にある全て。
時に応じて線引くことは出来ても、真半分にすると言うのはやはり無理がある。
好き勝手に引いた線の下には常に全体一つの物理次元のあることを、認めて進まなければ立ち行かない。
その様に、世界は既に進化している。
人だけが、思い残したまま。
(2022/12/19)