《プルプルゲーム》
嫌とは何か分かっても、その嫌を偽る意味については依然謎のまま。
先日の偽嫌GUYを意識内にイメージして眺めて見ても、ニヤニヤしながら嫌を連発する意味はとんと分からない。
嫌じゃ嫌じゃとなることについて、余程楽しい記憶でもあるのだろうかと首を捻っていて、ふと浮かんだのが
嫌よ嫌よも好きのうち
これも又、偽嫌の一種と言えるだろう。
だが、その嫌は偽ですと言っているのが、嫌がっている方じゃなくて嫌がられている方。
偽嫌にも、自薦と他薦があるのか。
そして何をどうやったら、嫌がられた方が
「その嫌も好きのうちだね!」
の判定をして、嫌がっている方に向けて言えるのだろうか。
エゴならではの珍妙さがあるばかりでなく相当謎めいたフレーズ。
面白いことだと、嫌よ嫌よも好きのうちに改めて注目した。
それにしても、「よ」?
語尾につける「よ」は、本来「○○だよ」となる所を「○○よ」と、だを抜いて表現する。
「あったりめぇよ」や「神田の生まれよ」と言った粋を主張する場合を除いて大抵使用者は女性となり、その為に女性語とも呼ばれる。
嫌よのよも、女性語なのだろうか。
調べて見たらやはり嫌よ嫌よも好きのうちの意味は、
“主に女性が男性に誘いを掛けられた際などに、口先では嫌がっていても実は好意が無いわけではないと解釈する語。”
と、出て来た。
「成る程なぁ」
と、なった。
もしかしたら偽嫌GUYは、自身で嫌よ嫌よを繰り返しながら、そこに女子の「イヤン♡」イメージを重ねて居たのだろうか。
だとしたらこんなに需要のない「イヤン♡」もないだろうと言う気もするが、俺の俺による俺の為の「イヤン♡」だからいいのだ、と言われれば返す言葉もない。
彼の様に一人で偽嫌と遊んでいる分には、時と場所によっては変人に見られる程度で終わる話。
それが、相手が居る場合はややこしくなったり拗れたりする。
2022は不覚社会でさえ、勝手な希望的観測にもとづく嫌よ嫌よも判定は、どんどん通らなくなっている。
只かつては、口先では嫌がっていても実は好意が無いわけではなかった女性も存在したのだろう。
男女然り、老若然り、個人間の出来事に留まらずに歴史の中で辿って来た道のりを観察する時、
一方的に、どちらかが被害者でどちらかが加害者と言うことはない。
そのままであれば自然にサクサク進むところを敢えて留まりプルプルする。
プルプルを目的にした手間暇かかるゲームをわざわざ行っていたのが不覚全盛期の物理次元。
そのことを無視しては、先に進めない。
勘違いする愚か者に矛先を向け始末して葬り去れば一件落着、とはならないのである。
みんなで煮込んだ、覚めぬ味わい。
(2022/12/8)