《こわさ求めて?》
先週記事に書かせて頂いた歌い踊る“仮面”達。
状態としては覆面や着ぐるみであっても、出演者全員に共通するのは“仮の姿”だと言う点なので、やはり仮面が相応しい気がする。
それらを幾つも眺めることは、実に多くの気づきを呼び起こしてくれた。
ここでの仮の姿は、舞台に立って観客や視聴者を楽しませる目的で作られている。
その為デザインや色合いに、
「綺麗」
「可愛い」
「格好いい」
「面白おかしい」
と言った、人にとって魅力的と感じられる要素を散りばめてある。
だからこそ、中の人も安心して身に纏えるのかも知れない。
着る人も、見る人も、不快にならない物。
好きだけどちょっと飽きたり重たく感じることもある普段の姿を一旦見えなくして、これまでにない形を身に纏う。
仮の姿に対して出演者の意向がどれ程反映されているかは分からない。
だが「気に入る」か少なくとも「これはこれで楽しい」と感じられる様に、制作担当者が行った工夫の跡もそこかしこに見られる。
これは楽しむための番組であり、楽しむには心地よさが要る。
全くの未知ではなく、ある程度の保証が付いた上での未知なのだ。
成る程なぁと眺めていてふと
「不覚の人が言う楽しいってこんな感じのだけだったろうか?」
の、問いが浮かんだ。
この舞台上にはない楽しさって、何か無かったろうか。
数日後、8月もじき終わると言うことで、夏らしいあれこれをじゃんじゃん味わっていた時のこと。
こうしたものに触れる機会はあまりないと、現代の怖い話を集めた本を手に取った時、
「あっ!これだよ!」
とあの時、直ぐに気づかなかったことに驚いた。
人間は快適や安心を求めるだけでなく、刺激によって得られる興奮も快感として求める。
その中で人によっては、不安なものから受ける刺激も快感だとしたりする。
だから納涼の一環として、怪談話が夏に好まれたりするのだろう。
そう言えば「納涼」って何だ?
と又、浮かんだ。
納の字は、税として糸や織物を納めていたことから生まれた字だと言うことだが、だとすれば一体何処に納めているのだろうか。
納涼における納の意味として、「おさめ入れる」に続けて「取り込む」と書いてある資料も見つけた。
納涼は、納税の様に納める側と納められる側が決まっている訳ではない様だ。
そう言えば納は、「納得する」の納でもある。
行事の形式をとって複数人から大人数で行ったとしても納涼は納得と同じに、外ではなく内で起こるものなのだろうか。
その中でも、肝を試すアプローチの納涼は大分変わった動きである。
「こわい、か」となった時、上から降って来た単語に驚き、瞬時に理解が展開し膝を打った。その単語とは、
“かわいい”
「こわいとかわいい」について分かったことをお知らせ申し上げるのは次回にする。
それまでに気が向かれた方は夏の残りのひと時を活用して、「こわい」とは何かについて意識を向けてみて頂きたい。
こわいい、かわいい。
(2022/8/29)
8月のふろくその2 《こわい観察メモ》
多くの人は「こわい」と感じることについては、なるべく避けようとします。
その為、中々観察する機会がありません。
こわい、と感じるモノコトを自由に書き出してみて、それらに共通するものを見つけるメモをこしらえました。
共通点を探ることで、結局何をこわいと感じているのかが浮かび上がって来ます。
まず、こわいと感じるモノやコトをメモの上部にある紫色の欄に書き出して、観察をして頂きます。
そこから見つけた共通するもの(書き出したもの全てにでなくても結構です)を、一つ目お化けが笑っている様な緑色の欄にお書き頂きます。
この共通するものについても観察をなさってから、愛を送ります。
気がつかれたことやお感じになられたことを下のピンク色の欄に書いて、全体の昇華をすることが出来ます。