《おったまげ?》
“生きものの体の中に宿って、心の働きをつかさどると考えられるもの。
古来、肉体を離れても存在し、不滅のものと信じられてきた。霊魂。たま。”
魂について調べ、まず最初に出て来たこの説明を眺めていて「そう言えば、じゃああれは何なんだ」となったものがある。
それが、
魂消る
と言う表現。
ビックリした拍子に消える、不滅のものって何なのか。
そして、魂が心の働きをつかさどるなら、その魂が消えちゃうビックリ状態が起きた時、
「たまげたぁ!」
と心を動かしているのは一体誰なのか。
魂消ている間にも、心は動く。
「魂消る」の類語として挙げられているものは、
驚く・仰天・びっくり・どきっとする・ぎくっとする・ぎょっとする・動転する・喫驚する・驚愕する・驚倒する・一驚する・驚嘆する・瞠目する・恐れ入る・あきれる・唖然とする・愕然とする・呆気にとられる・目を疑う・目を丸くする・目を見張る・息をのむ・肝をつぶす・腰を抜かす
等々。
随分沢山ある。
そして中には「疑う」とか、心の働きがなければ出来ない様な気がするものも混じっている。
肝をつぶしたからと言って肝機能がどうにかなる訳でもないし、腰を抜かしたからと言って人体の腰部がどっかに行く訳でもない。
魂消るも大袈裟に表現して言葉の強い印象を楽しみがちと言う、人間あるあるによって作られた言葉なのだろうか。
魂に消えると言う様な表現がある一方で、意識の方にも「意識を失う」とか「無意識」と言う表現がある。
ご存知の通り、意識を失うのは、失神や気絶や卒倒とも表現される状態。
魂消ても、意識が失われる訳ではない。
無意識は、意識が無に帰した状態ではなく、「意識による注力の無い状態」「意識的で無い状態」を短く言い表したもの。
「自覚的で無い状態」を表す、無自覚に似た表現になる。
勿論、魂消ても、自覚が失われる訳ではない。
「たまげたぁ!」に「え、誰が?」を返せば、
「いやいや、私が!(何言ってんの?)」
と、なるんじゃないだろうか。
大袈裟な言葉遊びみたいな感じでありながら、実は「魂消る」の言葉には意識と魂をイコールでは結べないことが、見事に示されている。
興味深いことである。
では、意識と魂はどう違うのか。
魂って、何なのか。
ここについて書かせて頂く前に、申し上げておきたいことがある。
「魂」と言う言葉には、それを好んだり期待をかけたりして来た人々が長い年月にわたりこしらえては追加した、実に沢山のロマンが詰め込まれている。
だが、ロマンティックを求める色眼鏡がかかったままでは、魂について「それがそれである」とシンプルに腑に落とせる日は来ない。
「霊」とか「魂」とか聞くと、途端に「御」や「神」や「聖」を結び付けて心くすぐられるなら、大分濃ゆい色のをおかけになっている。
次回記事では、当たり前だが何の色気もない記事を書かせて頂くことにする。
眼鏡に適う色のついた説明を探し続けるか。
色眼鏡そのものを外してみるか。
勿論、各々の自由意志となる。
かけたままでは、見えぬもの。
(2022/6/6)