《いいクスリ?》
「いい薬になる」とは、辛い経験や失敗などが教訓として役に立つ、の意味を持つ諺。
「良薬は口に苦し」と言う、効果のある薬は苦くて飲み辛いものだとしてそこに重ね、的を射た忠告である程当人は耳が痛くて聞き辛いことを示した諺があるが、それにも通じる。
人類には薬の苦さや辛さ、出来事の苦しさや辛さから、何かを得ようとして来た時代がある。
糖衣錠や、フルーツやチョコレート味の「おくすり飲めたね」が生まれるよりずっと前のことである。
現代では、薬にも口当たりの良さや楽しい雰囲気が求められている。
薬と言うキーワードを使った言語表現を幾つか並べて見て、
「いいクスリって、何だろう?」
と首を捻った。
気になる状態を気にならなくするのが、いいクスリだろうか。
それを人は「良く効く」と表現する。
速く効く。強く効く。優しく効く。穏やかに効く。長く効く。
それぞれの効くが両立しないものもありそうだ。
研究を重ねて、人は少しでも良く効く薬を得ようと努力して来た。
この動きを通して虚空がやってみたかったのは、「人型生命体が自身について知ろうとすること」。
自らが虚空であることを一旦忘れて、個々に分かれた状態となり、覚めぬまま手探りで始めることによって、その前の段階「人間が人間を知ろうとすること」も体験出来た。
人間が人間を知ろうとすることの中には、人体について知ることや、精神について知ることだけでなく、自分と他人を分けてその違いを知ることや、製薬する側と服薬する側に分けてその違いを知ることも含まれる。
製薬する側の内部事情は、服薬する側からは見えにくい。
不透明な状態に様々な利権も絡むので、かなりややこしい目隠し体験ゲームが可能となった。
「薬」の字は、粒状の植物を表す形声文字だと言う。
艹(植物)
+
楽(粒状)
=薬(植物を粒状にした薬)。
粉末にしたものを調合し丸めた薬を、丸薬と言う。
つまり粒が集まって大きくなった粒。
万物は拡大するとどれも粒の集合体であり、丸めた薬がそうした粒々状態を体現したかの様な存在になっているのは興味深いことである。
体現と書いたが、違いもある。
万物は天の意に沿って生まれているが、その中でも丸薬を含む薬全般には「良く効く様に」の意図が強く練られて混ぜ込まれている。
害にもならないが役にも立たない、あってもなくても構わないものや居ても居なくても同じ人の例えとして、「毒にも薬にもならない」と言ったりする。
虚空はあって良いか悪いかで万物を生んでいない。
あるのは天意、そして体験の歓び。何の不足もそこにはない。
毒にも薬にもと言いつつ、毒の入った薬のことは毒薬と呼んだりして、人の中で毒と薬は分かち難い存在となっている。
そして、毒を恐れて薬に安心を求める。
安心しきれない存在だから毒と薬を通して人間は、人間とは何か真剣に知ろうと出来たのかも知れない。
鼻ほじりつつ片手間に扱える様な物ではないから、姿勢を正して向き合えたと言うこと。
これは治療する為の薬に限らない。
熱や衝撃を加えることによって爆発する粉末状の物質を、火薬と呼ぶ。
こちらも目分量で適当に、とは行かない。
何となくのノリでこさえた花火とか、危なっかしくて誰も使えないんじゃないだろうか。
人類は薬を求める動きを通して集中することも学んで来たのかと気づき、その運びに感謝した。
人間が人間のまま人間を知ろうとする動きには限界がある。
覚める途中まで意識を運びはしても、「ここで手離してくださーい」となるエゴ置き場まで来ると止まる。
その先は力尽きるまで似た場所をグルグル回るのみとなることも改めて腑に落とし、そこにも感謝した。
いいクスリと言うのがもしあるのだとすれば、それは役立つ機を活かし、力を尽くして、後には不要になることも厭わない、
依存の起きない薬
のことではないだろうか。
薬に使用期限あり。
(2023/4/3)