《都合と完成》
「この世界は好都合に未完成…」
先日ひょんなことから、街で行列に並んでいた時。
小学生位の男性方が、すぐ後ろで声を合わせて歌って居られた。
最初は「ああ、何か歌ってらっしゃるな」と、気づく程度の聴こえ方だったのだが、
冒頭の箇所で、いきなりボリュームアップ
「何だって?」と流石に振り返った訳である。
楽しそうに歌うのを観察しながら、これも又、人類が物理次元上で行う一つの体験であり、素晴らしいと頷いた。
とは言え、その内容については
「…何を仰っているのかな?」
と首を捻る他ない。
首を捻る様なことを飽かず言っているのがここまでの人類なので、今更それについては驚かない。
そして何でまたそんなことを言い続けているのかも分かっているので、それについても特に驚かない。
覚めていない意識には、謎を設定して、それを解きたがると言う性質がある。
そして、解けそうで解けない状態を愉しむ性質もある。
「謎を解くプロセスにこそ、知ることの興奮と快感がある」
そう思っているからだ。
同時に、謎が解けることはない、と決めている節もある。
何故なら、謎が解けてしまったら、つまらないから。
虚空が生み成す物理次元を“この世界”と呼んでいるのならば、世界は人類の都合には全く沿っていない。
そして、成そうとせずとも最初から完全である。
感動する、至福の美しさと素晴らしさと共に。
不覚の意識が思考実験により構築したビジョンの集まりを“この世界”と呼んでいるのだろうか。
それならば完成させずに捏ね続け、声が枯れるまで好きな様に都合を愉しむことも出来るだろう。
その遊びをしに来たと言う人。
その遊びが終わるのを見に来たと言う人。
謎に触れることもなく、来て帰る人。
それぞれ皆同じ、虚空の愛し子であり、質においては虚空と同じである。
こちらは、都合がなくなったことで初めて訪れた、目を丸くする様な面白い謎に向き合っている。
大元の謎が解けた後にも、新しいことを知り、謎を解くことは起きる。
その味わい深さは、日に日に増している。
都合なき、世界の輝き。
(2025/4/14)