《足並み揃えて?》
新しい環境に身を置くと、その場に馴染もう、周囲に溶け込もうと、工夫することも増えるかも知れない。
これまで慣れ親しんだノリから一旦離れる機会にもなり、そうした時に、意識には新風が入る。
過去に得て来たものに未練なく、先に進むことが出来ていれば、とても楽しいものだ。
工夫が必要な場面も面白い変化として受け取れる。
逆に、慣れていた楽さや優遇に未練があれば、新しさを楽しむ余裕もなく気が張って、重荷と感じるだろう。
起きていることは同じなのに、受け取り方で展開は全く変わって来る。
面白いことである。
足並みを揃えることはその場その場で完了する、ゲームの様なもの。
スケートを終えた後に、刃の付いた靴を履き続ける必要はない。
むしろ歩き辛い。
新しい場所に馴染もうとするあまり、現場を離れてからもそのノリを引きずることはお勧めしない。
大事なのは、必要があればすぐに裸足になれること。
そしてそれを知っておくことだ。
今履いているものは、窮屈だし、グラグラして不安定だし、不便だ。
そんなことを嘆いていても、意識の中で勝手に履いた靴を、他の誰も脱がせてはくれない。
長い年月をかけて、知らぬ間に揃っている足並みもある。
女だから。
男だから。
この年だから。
○○人だから。
それらの決まった側からだけでモノコトを捉える癖がつくと、足並みは途切れることなく揃い続ける。
そして、決まった範囲の歩幅や速度でしか進まなくなり、違う歩幅や速度で行こうとする人々とぶつかり合ったりする。
足並みを揃えるより、全体一つの流れに乗る方が、遥かに楽だし、すんなりと事が運ぶことも多い。
勿論、この世は楽する為とか、すんなり事を運ばせる為にある訳ではない。
妙に遅れたり、遠回りになったりと言うことも、全体一つの流れの中で必要ならば当然起きて来る。
だが、余分に力がかからない点では、進みがスムーズになることに何の不思議もないのだ。
揃うも解くも、自由自在。
(2025/4/7)