《要と柔軟》
ふとした拍子に生まれた
「そう言えば、何で女?」
と言う、問い。
重要や必要と言う時の「要」の字に、意識が向いた時の話である。
扇の要などとして「かなめ」と読む場合にも、大切な部分を意味する。
この要の字の左に月を置けば、腰の字になるが、元々は要の字自体が、腰と言う意味を持っていたらしい。
さっぱり意味が分からないのが、要の上部分は襾と言うかたちであること。
これは「両手と頭」を表わすそうで、そこに女を加えて要となる。
「両手と頭。腰は?」
要とは腰なのかと注目していたら、両手と頭と女に分解されて、どこかに行ってしまった。
手品みたいだ。
「消える腰…腰の本質は無の領域に在るものだと言うこと?」
であれば、中々味わい深いメッセージと言える。
要と言うかたちは女の腰を表わしているそうだが、そこから重要な、大切なと言った意味が生まれたことは理解出来る。
生命が誕生する場所を支えているからだろう。
腰に支えられて収まっているスペースから、出産が起こる。
無から有が生じる不思議を感じ取った人々が、これこそ物理次元の要だと、要の字をこしらえたのか。
それとも、虚空からのメッセージが「何となくこの形だ」と言う気づきになって、もたらされたのか。
どちらにしても面白いことである。
誕生の場所であることを表現するなら、要の下半分には女ではなく母の字を置いても不思議ない。
だが字に居るのは女なのだと眺めていて、女の字が持つ柔軟性が、腰や要にとって大切な要素であると言うことを、伝える為かと気づき感心した。
扇の要や、肝心要などは、かっちりきっちり固く留めるみたいな雰囲気がある。
だが、ぴったり合ってしかも柔軟であることが要の本来、そして腰の本来なのだ。
柔軟だから、応用が可能。
柔軟だから、ぶつからない。
柔軟だから、崩れない。
柔軟だから、自由に方向を変えることも出来る。
次回記事では、この柔軟性に欠かせないものについて書かせて頂くことにする。
やわらかく、しなやか。
(2024/11/18)