《秘めたるもの?》
人間は、秘めたるものに興味を持つ。
神秘的な儀式に関心を抱いたり、
「○○の秘密」なんてタイトルや広告に目が向いたり、
2025現在もあるのかは分からないが、袋とじでマル秘となっている記事目当てに雑誌を買ったりする。
秘部とは、秘密の場所や 秘密の部分だけではなく、そこから 人体の生殖器部分のことも意味するそうだ。
これを陰部や恥部と言い換えることも出来るのが、面白い。
恥ずかしいから、陰に隠して、秘すべき部分、と言うことになる。
だが神秘的と言う表現になると、そこには逆に優越や誉れの様なものが感じられる。
誉れなのか、恥なのか。
どちらにしても人は秘に惹きつけられる。
秘めて隠すことが前提となっている、セクシーなものへのドキドキ感。
人里離れた、世に知られぬ土地である、秘境を探検するワクワク感。
秘すれば花と言った表現などでお馴染みとなった、芸能や芸術を通して神秘性を感じることも人は好む。
面白いことに秘とは、通じないことも意味すると言う。
「そうか。秘すれば花は、便秘には通用しないのか」
と、妙に感心した。
秘の正字は祕。
神を意味する示の字に、必を合わせることで、神が必ず現れる神秘を表す漢字だとされている。
神が必ず現れることを、神秘だと感じる。
それは、神が現れているかどうかはっきりと分からないからではないだろうか。
明確にそれがそれだと分からないから、神秘なとか秘めたとは別に、通じが悪いと言う意味が発生した。
「何で通じが悪いのさ?あっ、そうか」
と、その奇妙さに首を捻った後、即座に理解が訪れた。
必ず現れる神なら、常に現れることだって出来る。
絶えることなく、あらゆる場所に。
それを「いるのかな?いないのかな?出たのかな?出てないのかな?」と通じない感じにする。
これは、エゴを使った
どれだけ全一状態から意識が離れられるか
と言う虚空による、分神と言うシステムを使った興味深い実験なのだ。
秘してみたから、何もない様に感じる無限の虚空に、崇高なとか怖ろしいと言った、神のイメージを着彩することが可能になった。
無明でなく、明けっ放しの意識状態であったら
「あれっ、何もないじゃん。そうでした。ですよね」
と、直ぐに分かってしまう。
そうなると色々な体験が出来ないまま、すっ飛ばされてしまうことになる。
秘境で儀式に参加して神秘性を尊ぶゲームも、袋とじを開けて秘部を覗こうとするゲームも、全部やってみたかった虚空としては、実に丁寧に神秘のベールを分厚くしたのじゃないだろうか。
勿論、ここまで層が増したのは、膨れ上がったそれぞれのエゴが、ベールを後から重ねて行ったからでもある。
この長持ちして来た神秘性が日に日に剥がれているのが現代であり、変容の時代なのだ。
誉も恥も、後付け。
(2025/3/6)