《樽の中から》
住空間の様な、建物として区切られることによって、全体から分けた状態になる空間。
同様に、人型生命体として区切られることによって、全体から分けた状態になる、御神体の内包する空間。
この二つについて、意識を向ける程に興味が増し続けている。
「body」の語源は、古期英語で樽を意味する「bodig」から来ていると言う。
人型生命体の分割意識が御神体に様々な無理を強いるのは、以前に申し上げた様に、言ってみればこんな状態。
ある種ゲームになっている。
だが、髭の男が樽から飛び出すか出さないか、つまり
分割意識が御神体から切り離されるかどうか
これは、そこまで熱中する程、愉快な内容だろうか。
住空間に置き換えてみると、中の住人が飛び出す程、壁に向かって外から剣を入れて来る。
そんな家があると聞いたことはないし、あったとして落ち着いて暮らせるものではなさそうだ。
樽飛び出し遊びを、人類が続けるのは何故だろう。
慣れ親しんだノリが手離し難いからか。
新しいゲームのビジョンが見えて来ないからか。
見えて来ないのは、新しいゲームへ移行する人がまだ少数であるからかも知れない。
世の中の主流になってからでないと、流れに乗っかれないと言う人々にとって、それは存在しないのと同じだ。
期限付きの儚い人生だから、好き勝手に危機を楽しんで何が悪い?
そんな発想もあるのかも知れない。
だが、人間の数が減り始めている状況では、危険を伴う扱いで消費するゲームはもう必要とされない。
そのブームは既に終わり、いかに御神体との協力を充実した状態で続けられるかと言う内容に進化している。
誰かが変わるのを待ってではなく、何も待たずに始める人を、春の息吹はそっと後押しするだろう。
その押し方はとても静かで微か。
体重の全てを預けて「持ってって貰う」様なものではない。
だがその小さな動きに歓び、感謝するかどうかが、樽の中の質を大きく変えるのだ。
樽の中から愛放つ。
(2025/3/17)