《早が遅を》
先日、ひょんなことから、比較的規模の大きな病院に出かける機会があった。
かかる人は紹介状がないと来られない場所だそうだ。
そんな一見さんお断りシステムみたいな関門があるのに、いざ中に入ってみたら人、人、人。
「うわー街みたいだ」
と、キョロキョロして、この機会でなければ見られないものばかりだと、周囲の方々を驚かせない程度に速度を落として、あちこち移動してみた。
歩き回っているうちに気づいたことがある。
学校や役所に似た雰囲気だが、病院は何と言うか時間の流れ方がとても独特。
待合席に座る人々の、おそらく殆どが「順番早く来ないかなぁ」と思いながら、その場を動かずに居る。
その間を縫うように、ピューッと素早く移動して、人に声をかけ、書類を渡し、説明や指示をする制服の人々。
まるでプレーヤーの立ち位置によって、時間の流れ方が全く違うスポーツを見ているみたいだ。
医師も看護師も走りこそしないが、基本、動作の速度は高め。
スタスタ、サッサッと動き、ピタッと止まるか。
ジイッと止まって、たまにジリジリと動くか。
二種類の動きを眺めてみると、どちらにしても、ゆったりやのんびりとは無縁だった。
じっと待つ、アクション少な目な側も、時間は持て余す程あっても心が落ち着かない様子で居る。
不思議な場所だとあちこち目をやっている時に、急に気づいたのが、
「早く!」が遅くを叶えている
と言うこと。それも街みたいに見える程の大人数で、「早く!」と願っている。
それはジリジリにもなるはずだと用を終えて外に出て、当たり前なのだがその差にビックリした。
全体一つの流れは、「早く」も「遅く」も命じていない。
やはり時間の流れ方が、まるで違う場所だった。
病院も勿論、全体一つの中の一部であるので、あれだけ独特な流れを作れるのも、虚空がそれを体験してみたかったから。
意識達が気づかない限り、同じ様に「早く目覚めを!」の願いも、結果を遠ざけることを叶え続けるだろう。
願うと
決めるは
違うこと。
(2025/2/6)