《急な穴》
「早く!」が遅くを叶えている
と気づいたと、前回記事にて書かせて頂いた。
世の人を驚かせた、道路にいきなり大きな穴が空いた件でも、その流れが起きている様に感じている。
動かすことで更に穴が拡がって、今地上にある人や物まで下に落ちる可能性。
様々な可能性に気を配りながら、地道な作業を続けることの難しさはどれ程だろうか。
何といっても、道に大穴が生まれると言うのは多くの人にとって想定外のことであり、これまでを振り返ると珍しい体験でもある。
道に大穴マニュアルなど、あるところにはあるのかも知れないが、およそ聞いたことがない。
手探りで、暗闇に向き合う。
命懸けになる可能性を持ちながら、闇に消えた命を捜している。
そんな動きが起きている。
虚空から生じていることを認めようとせずに、世の多くの人は、まだまだ目に見える世界だけでエゴゲームを続けようとしている。
そこに、目に見える形で驚く程大きな穴が現れた。
このことが分割意識にどんな変化をもたらすのかと言えば、人によるとしか申し上げられない。
覚めることを受け入れようとしつつある幾らかの人々は、ハッとなるだろう。
だが、全く目覚める気がない(それもまた役割であり、不心得などと言うことはない)人々にとっては恐怖でしかない。
それも人間的なアプローチでは手も足も出ない、得体の知れない恐怖である。
目に見えない恐怖や畏怖の対象に、人々が対処して来た方法の中で、あるあるなのが人柱だが、このたび穴に落ちられた人は別に生贄ではない。
その方の人生を紐解いてみないと詳しくは分からないが、かなり強引な方法で虚空に近づかれた理由がある。
それは子であるその方と、全母たる虚空との間のことであり、大勢の人々が進化を先送りする為に、時間稼ぎの犠牲になった訳ではない。
だから、胸が痛みますと言って、そっと手を合わせて「おしまい」には出来ない。
大体、大きな穴と書きはしたが、今回の穴をもう大きいとは呼べない位、更に巨大な穴が現れても不思議はないのだ。
現時点で大きめの穴、と言うだけである。
目を覚ますことを受け入れようと変わりつつある方々は、ハッとなったその感覚を落ち着いて丁寧に味わって磨き、何となく埋め立ててしまわないことをお勧めする。
大分派手な感じでダ・ヴィンチも描いていたが、変容に至る変化の流れは水に例えられる。
埋めたそばからまた水が浸み出して崩れることもありますよと、今回の穴が教えてくれても居るのだ。
内に見出すか、外に見出すか。
(2025/2/10)