《役と流れ》
人の姿をもって動き続ける、様々な役割たち。
クリスマスシーズンの街を行き交う、賑やかなその様子を眺めていた時。
虚空から観ればどれ一つ変わらず、愛おしい、素晴らしい役割であることを感じて嬉しくなった。
そうしていると、女性の高い声で「モームリ!モームリ!」と歌う、退職代行を宣伝するトラックが、ゆっくりと通りを横切るのが見えた。
宣伝する車が走る、と言うことは商機が見い出されている訳で、何らかの根拠があって、そこに需要が見込まれている。
無理だし、無理であると伝えることも本人には無理。
そうした状況もあるのだろうかと、興味深く頷いた。
モームリと歌うのも、
それを響かせ続ける車で街を巡るのも、
無理と感じる職場を去る為にお金を払うのも、
どれも一つの役割。
虚空はそれぞれの役に大小や軽重の評価をつけて見ていない。
人々の方はどうだろうか。
「大役に身が引き締まる思いです」
と言ったりする。
「あなたにこのような仕事は役不足になり申し訳ない」
とも言ったりする。
大小や軽重の差をつける見方はエゴがあるから可能になったもので、勿論、良くも悪くもない。
これはこれで、かつては時代に合った役割だったのだ。
「役に大小や軽重の評価をつけて見る役割…」
全く色んな役割があるものだと、感心しつつ何だか愉快な気持ちになった。
弥栄を意志して活動していると、そこからかけ離れた動きをする端末達について、
「この人、何でこんなことをするのかしら」
と、奇妙に感じることがあるかも知れない。
良くも悪くもなく、
「今はそう言う役をしているんだな」
と、分かっていると、奇妙な役について納得行くまでその場で分析しようとする動きが止む。
それぞれの役割が果たすものは、一問一答みたいにすぐその意味が分かるものばかりではない。
端が分からない程に大きな流れの中で、人智を超えた味わい深い動きが、そこかしこで起きている。
全ては虚空の天意の中で動いている。
こうあって欲しい、こうあるべきと手を出して掻き回そうとしなければ、弥栄な流れに自然と向かうのだ。
ムリせずとも、流れて行く。
(2024/12/9)