《変化と安定》
永遠無限の虚空は、そのままでは何の差異も味わえない。
差異を楽しむ為に、
わざわざ物理次元を用意し、
わざわざ万物の形に姿を変え、
生も死もない虚空が、
ことが分かる。
頭では理解出来る、とかそうした言葉を挟む必要もなく、只それがそれであると、分かる。
「今、呼吸をしていると、頭では分かるのですが」
などと、言う人が居るだろうか。
「今、生きていると、頭では分かるのですが」
そうしたことも、言う人が居るだろうか。
何でもないのだと分かっていると、無理に我を通そうと頑張ることも出来ないし、無理をして犠牲になろうとすることも出来ない。
ああ、この流れがこう来ているのですね
そう、理解して動くのみ。
この、何でもないことを分かった状態は、他から見た時に「安定した状態」と映るかも知れない。
安住の地に到着し、意識が定まった状態
見れば結構ごちゃごちゃしている。
人はそうしたものに焦がれる。
その一方で不安定のスリルも求めるから、世の多くの人は「安?不安?」と忙しなく揺れ動いている。
それはそれで全く、良くも悪くもない。
今の今、人々がしている賑やかな表現。
只、それだけだ。
何もかも何でもないことを分かった状態は、安定不安定を超えた状態と言える。
そうなると、未体験の大きな変化にも柔軟に対応することが可能になり、しかもそれを楽しむことも出来るのだ。