《変化と安定》

 

永遠無限の虚空は、そのままでは何の差異味わえない

 

差異楽しむ為に、

 

わざわざ物理次元を用意し、

 

わざわざ万物の形に姿を変え、

 

生も死もない虚空が、

 

わざわざその様な表現を生み成している。

 

これ程、面白く味わい深いことがあるだろうか。

 

覚めると自他どちらであれ、特に

 

なーんでもない

 

ことが分かる

 

頭では理解出来る、とかそうした言葉を挟む必要もなく、只それがそれであると、分かる

 

「今、呼吸をしていると、頭では分かるのですが」

 

などと、言う人が居るだろうか。

 

「今、生きていると、頭では分かるのですが」

 

そうしたことも、言う人が居るだろうか。

 

何でもないのだと分かっていると、無理に我を通そうと頑張ることも出来ないし、無理をして犠牲になろうとすることも出来ない。

 

ああ、この流れがこう来ているのですね

 

そう、理解して動くのみ。

 

この、何でもないことを分かった状態は、他から見た時に「安定した状態」と映るかも知れない。

 

安住の地に到着し、意識が定まった状態

 見れば結構ごちゃごちゃしている。

 

人はそうしたもの焦がれる

 

その一方で不安定のスリルも求めるから、世の多くの人は「安?不安?」と忙しなく揺れ動いている

 

それはそれで全く、良くも悪くもない

 

今の今、人々がしている賑やかな表現

 

只、それだけだ。

 

何もかも何でもないことを分かった状態は、安定不安定を超えた状態と言える。

 

そうなると、未体験の大きな変化にも柔軟に対応することが可能になり、しかもそれを楽しむこと出来るのだ。

 

どんどん変わる面白さ。

(2025/3/24)