もとおなじと》

 

あらゆるものから生じしている。

 

その物理次元観察し、理解深め感謝体験消化昇華する。

 

それが人型生命体役割である。

 

必要なのは、役割を果たすこと。

 

 

不覚社会での価値基準に照らして、その役割が大きいか小さいか。

 

そう言ったことは、虚空からすれば重要ではない

 

勿論、価値や比較も、虚空から生まれたものの一つであることに変わりはない

 

価値基準によって比較する動き生まれたのは、体験の種類を増やす為だ。

 

 

負けたくないと奮起するとか、

 

とても敵わないと諦めるとか、

 

模試の順位を気にするとか、

 

どれも比較の動きがないと出来ない

 

目が覚めると、例えばA対Bの試合を見ても、元は同じと知れているので、

 

「負けたらどうしよう」

 

と、深刻にはなれない

 

真剣に楽しむことは出来る

 

「どうしよう」「こうあってくれ」ではなく、その試合でなければ見ることの出来ない瞬間味わうのに集中する時、それは起きる

 

深刻さと、真剣さは、異なるものである。

 

真剣に集中しても、ことが終われば引きずらない

 

恨みや悔い、優越や傲りなど偏りが意識深く刻まれていれば、引きずることが増えても不思議ではない

 

全体一つの流れに沿って、気楽に過ごしていると、深く刻むことに使わない分、エネルギーに余裕が出る

 

余裕ある力を、果たす役割に向けて注ぐので、無理がない

 

どちらの道を行くのかは、それぞれ自由となる。

知るも知らぬも、元は同じ。

(2025/4/24)