《今・今・今の》
前回記事で書かせて頂いた、くよくよしないにも通じるものがありそうな出来事を体験した。
本日記事はそのことについて。
ひょんなことから作業を頼んだ場所で、業者を待っていたある時のこと。
約束の時間を過ぎたものの、誰も現れないし、遅れると言う報せも特にない。
さぁどうなりますかと取りあえず、こちらがその場で出来る作業をあれこれやっていると、指定の時刻から1時間ほど過ぎた辺りで、これから向かうと連絡があった。
更に30分経過した後に現れた業者の方は、背中を丸めてこちらの顔色を伺いながら、どうも様子がおかしい。
しどろもどろに話すのを聴いてみると、作業に欠かせない肝心のものを持参せずに来てしまったらしい。
代用品で本日は作業して、その分のお代は要りません、明日頼まれたものできちんとやり直しますと、恐る恐ると言った感じで仰る。
「明日?」
明日は指定の時刻に来て頂けるかお尋ねすると、可能であると言う。
「じゃ、明日で結構ですよ」
さくっとその様にお返事すると、何でか先方は俄かに信じがたいと言う顔になられた。
代用品での作業は…と言われるので、あぁそれは必要ないですと申し上げた。
どの道、頼んでいたものでやり直すのなら、代用品での作業は不要と感じたからだ。
すると業者の方は戸惑った表情で、幾度か頭を下げて帰って行かれた。
「こんなこともあるんだなぁ」
と、その辺に腰かけてお茶を飲んでいた時に、ふと気づいた。
「もしかして、こちらが怒っていなかったから奇妙に思われたのかな?」
そうだったとして、こちらとしては怒る理由は特にない。
約束通りに来なかったのも、それが只そうであるだけだからだ。
肝心のものを置いて来たのも、それが只そうであるだけである。
そんなことを言えば、先方はますます困惑するかも知れない。
今更ながら、何が起ころうと困り様がないんだなぁ、と頷いた。
どれもギフト。
起きたことは、起きたこと。
そして、起きたことが良かったか悪かったかではなく、
どんなことが起き続けているのか
そちらの方に、興味があるのだ。
今・今・今の連続。
(2025/2/17)