《いのちあっての》
ひょんなことから役所に来た宮司。
辺りを見回していて、あちこちに置いてあるパンフレットに目をとめた。
「いのちの贈りもの…?」
いのちは贈りもの、ではなくて?
いのちそのものが、虚空からの贈りものであるのに。
近づいて見てみると、臓器移植のご案内だった。
より長く生きるとか、より健やかに生きると言う機会を、端末から端末へ贈る。
そうした体験も物理次元にはある。
実際のところ、いのちは「生命体が活動している状態」だけにあるのではない。
いのちは空間に満ちている。
いのちそのものを贈りものと見る時、あらゆる機会も贈りものであると気づくことが出来る。
今こうして椅子に腰掛けて見ている景色も、役所と言う空間で出会えている人々も、どれも皆いのち。
空間いっぱいにひろがるいのちが、静かに点滅するのを感じ、あらゆる機会に感謝した。
目に見える贈りものだけでなく、空間に満ちる天意も贈りもの。
贈られると同時に、贈ってもいるのだ。
天意の放出は特定の誰かや何処かのみから行われるものではない。
全体一つで循環し、消化と昇華をし、生まれて消えて、また巡る。
それも全て虚空あっての、そしていのちあってのことである。