《いのちあっての》

 

ひょんなことから役所に来た宮司

 

辺りを見回していて、あちこちに置いてあるパンフレットに目をとめた

 

いのち贈りもの…?」

 

 

いのち贈りもの、ではなくて?

 

いのちそのものが、虚空からの贈りものであるのに。

 

近づいて見てみると、臓器移植のご案内だった。

 

より長く生きるとか、より健やかに生きると言う機会を、端末から端末贈る

 

 

そうした体験物理次元にはある。

 

実際のところ、いのちは「生命体が活動している状態」だけにあるのではない

 

いのち空間満ちている

 

いのちそのもの贈りもの見る時、あらゆる機会贈りものであると気づくことが出来る

 

 

今こうして椅子に腰掛けて見ている景色も、役所と言う空間で出会えている人々も、どれも皆いのち

 

空間いっぱいにひろがるいのちが、静かするのを感じ、あらゆる機会感謝した。

 

目に見える贈りものだけでなく、空間に満ちる天意贈りもの

 

 

何と多くを贈られていることか。

 

そして何と多くを贈っていることか。

 

全母たる虚空と、分神たる質において同じ

 

 

贈られると同時に、贈ってもいるのだ。

 

天意放出は特定の誰かや何処かのみから行われるものではない

 

全体一つで循環し、消化昇華をし、生まれて消えて、また巡る。

 

それも全て虚空あっての、そしていのちあってのことである。

 

素晴らしき巡りの日々。

(2024/12/26)